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嫌悪表現公論化について整理し考える

◆長い前置き

 

まず、これから書こうと思っている内容については、わたしの低い韓国語読解能力と、人権や差別問題に関するごくごく浅い知識と経験、決して十分とは言えない考察でのみ構成されていることをお伝えしたいです。

そして、まだこのことに関して勉強が必要であり、時間を掛けて考えていかなければならないと思っています。

 

この度、これについて書くに至った理由としては、

何らかの持論を展開し主張したいからというよりは、1人頭の中でこのことに向き合っているのが最近しんどくなり、ここで吐き出せば少しは楽になるかもしれないと思ったのと、

考えているうちにこんがらがってきて整理したくなったのと、

自分に限らず、やはり物事は多面的に見て考えた方が、客観的な立場として、良いことだと考えるからです。

 

これによって、わたしの中で根付き育っている苦痛の種を、皆さんの胸にも植え付けてしまうかもしれません。それでも読んで頂ければ嬉しく思います。

 

 

◆本題・状況把握

 

「#비투비_혐오_공론화」というハッシュタグTwitterでご覧になったことがある方も多いと思います。

わたしの話したい対象は、このハッシュタグに集約されます。

 

上記ハッシュタグを日本語に直訳すると「ビートゥビー_嫌悪_公論化」だと思います。

嫌悪とは?公論化とは?

その指すものを完全に理解しているとは言い難いわたし。

ですが、あえて説明するならば

嫌悪=社会にまかり通っている差別や偏見。特に女性蔑視。

公論化=隠したり押し殺したりせず公にして主張していくこと。

というようなことだと思います。

女性蔑視のことを韓国では「女性嫌悪」と表現するのが一般的なようなので、

「嫌悪」という単語は、もしかしたら「蔑視」と置き換えれば日本人には理解しやすいのかもしれないです。

 

つまり、「びとびが何らかの蔑視や差別・偏見と取られる言動や表現をしていることについて問題提起し、主張します」という意思表示のハッシュタグということで、わたしは理解しています。

いつ頃から使われているのかは知りませんが、わたしがこのハッシュタグを初めて見かけたのは今年の初めだったと思います。

 

この嫌悪公論化を掲げているのは、紛れもなく、びとびのファン(=メロディ)です。

びとびのことが好きだからこそ、良くないことは毅然と指摘して、改善していきたいと思っている――そういった働きかけが嫌悪公論化というものだと認識しています。

もしかしたら中には違う種類の人も便乗して混じってるかもしれませんが。

ファンの中からこういった動きが出て来たという衝撃もありますが、それだけではなく、この方々は今回の「MOVIE」活動に対する応援をボイコットしていました。

目的は「フィードバック」。

事務所やメンバー本人達から、この嫌悪公論化で問題に挙げていることについて何らかの表明をしてもらうこと。

平たく言えば、自分たちは間違っていたと認めてもらうこと、でいいんでしょうか。

 

以下、公論化を掲げている人たちのことを「公論化支持派」もしくは「支持派」と、それに反対する人を「反対派」などと呼ぶことにします。

 

公論化支持派が問題として指摘する言動などにはどのようなものがあるのか。

 

①「男らしい」「女らしい」などの性役割を押し付けるような思想に基づいた歌詞、発言

→実は今回のカムバック曲「MOVIE」に、この公論化の動きが一気に広がった原因がありました。

 この曲の中の「男らしく」「女は寝ても覚めても気をつけなきゃ」という歌詞です。

 また、活動中のインタビューでも「男らしい」という単語が何度も使われました。

 

②笑わせようとして変顔(猟奇的表情)をすること

→これは少し補足が必要です。

 びとびのメンバーはよく、躊躇いもせずその綺麗な顔をめちゃくちゃに崩して笑いを取りに行く傾向がありますが、その変顔が、心身に障害をお持ちの方がしているような表情を真似して馬鹿にしているように捉えられる、として問題化されています。

 支持派が変顔と障害者の方を関連付けたということに、抵抗感や疑問を抱く方もいらっしゃるでしょうが、その主張と一緒にRTされたエピソードがあります。元ツイが見当たらないのですが要約します。

 “障害児の養護施設にボランティアに行った時のこと。テレビで芸能人が顔を崩し、猟奇的な表情をしたので笑っていたら、ある子どもが近づいてきて言った。『先生、あれが面白いの?じゃあ私たちのこともウケる?』”

 

③その他、歌詞や言動の中に見られる蔑視や固定観念的なもの

→例を挙げます。

 ・ウケ狙いで女装をして「汚い」と評価

 ・10thミニアルバム『Feel'eM』収録曲『빨리 뛰어』の歌詞

  「異国的な外見 もしかして混血?」

 ・(冗談ですが)妹が結婚相手として望む相手に納得がいかないから「小遣いやらないぞ」との発言

 など…

 毎日次々と指摘されていくので、全ては把握できないのですが。

 

 

◆個人的見解と立場

 

さて、これらのどこが悪いのか?

それは人それぞれ考えがあると思います。

 

わたしも、あまりに性役割を意識させられるのにはちょっと抵抗があります。

変顔が誰かを不快な気分にさせるかもしれない、とも考えますし、

狭い了見で物事を決めつけるのは危険だとも考えます。

 

そして何より、びとびの言動や書いた歌詞によって、誰かが傷ついたり不快な思いをしたら悲しいな、と思います。

該当部分を他に代替できるものならした方がいいとさえ。

기도やMOVIEで関心を集めているびとびは、以前より更に多くの人目に晒されることになっていますから、小さな出来事が大きな反響を呼んでしまう可能性も高まっています。

これからも長く活動して、高い人気を誇って欲しいから、慎重に行動してほしい。

それはメロディの大半の共通の願いだと思います。

 

だから、間違っていることはちゃんと指摘して、改善していきたいという支持派の想いを、わたしは理解できます。しているつもりです。

でもわたしは、支持派に混じってこのハッシュタグを使い、主張したいとは思いません。

ただ、反対派に回るわけでもないことはハッキリと申し添えたいです。

 

 

◆支持しない理由と、傍観者でも味わった苦痛

 

①社会的問題をびとびにばかり負わせているような気がしてしまう

 固定観念や、差別意識というものは、過去長きにわたって社会の中に形成されてしまったものです。

 社会の中で生まれ、社会に影響を受けながら育つ人間は、やっぱりその社会に染みついてしまったものを「普通」と受け止めて生きてしまうものだと思います。

 一度「普通」と思ってしまえば、それをひっくり返すのは容易ではない。

 もしくは、その「普通」が好ましくないものだと気づいても、見て見ぬふりをしたほうが楽だ、という場合もあるかもしれない。

 そういった社会全体に及ぶ問題ですよね。

 

 でも、こうしてグループ名が入ったハッシュタグを一斉に使うことによって、社会問題とびとびが強く関連している、さらには、びとびが社会問題を深刻化させている、というような誤解を招いてしまいそうで怖いな、とわたしは感じています。

 びとびにも、言動や表現に改善すべき点はあるとは思います。

 ただ、それは大きな社会問題の中の一部の問題であって、びとびだけに焦点を当てて議論が白熱しているような現状に、違和感を覚えるんです。

 メロディだから、まずはびとびに焦点を当てるのはわかりますが…

 公論化を進めるやり方にも、少し付いていけないところがあります。次にお話しします。

 

②容赦ない指摘によってメンバーを追い詰めてしまいそう

支持派の方の中には、非常に冷静かつ容赦なく、問題を指摘する方がいます。

その中で、例の変顔の問題で、

つい今しがたアップされたばかりのインスタグラムのスクリーンショットが添付された、名指しでそのメンバーに向けたメッセージのようなツイートがあったんです。

あなたのその行動は面白くありませんし、障害者の方に不快な思いをさせます、やめてください、というような内容でした。

メンバー本人の名前や顔の映った画像が入ったうえに、「面白くない」と評価した上での指摘…。

わたしは、このツイートで胸が痛くなってしまって。

そのツイートはわたしにとって、鋭利な刃物のようでした。

 

文字の威力というものは、書き手の意図した以上に強くなってしまうことが多々あると思います。

面と向かって話す分には何とも感じない内容でも、文字にしてまじまじと読んでしまうと、酷く突き刺さったり、不快に感じたりする。

 

そして、第三者のわたしでさえ傷を受けたのだから、名指しされた当の本人は、これを目にしたらどれほどの衝撃を受けるのだろうと考えてしまいます。

指摘すること自体は、やはり必要なことだとは思います。

ただ、フォローのようなものがあった方が良いのではないかなと思うんです。

前述のように、文字は時として威力が強すぎて傷を与えてしまう可能性がありますし、

どんな正しい指摘であっても、受け止めづらい形で投げかけたら、受け入れてもらえない、むしろ逆効果になる恐れもあります。

言いたいことをちゃんと言い続ければいつかは伝わる、というものではないとわたしは考えます。

伝えるためには工夫が必要なこともある。そこに好意があるなら尚更。

 

また、待望のカムバックを応援してもらえないばかりか、その活動曲に問題点があると指摘された、作詞作曲家のことを考えてみます。

初めてタイトル曲に自作曲が選ばれて、ファンを含め周囲の反応はどうなるか、期待と不安でいっぱいだったはずの彼もまた、文字によって冷静に批判されました。

それを考えているわたしが勝手に心を痛めています。

どうしても数年前の、ネットでバッシングを受けて命を絶った女優さんのニュースを思い出してしまうんです。今回の件とは状況は全く違うのに。

でも、それくらいの攻撃として受け手が受け止めてしまう可能性もあると思うんです。

 

③支持派が反対派に責め立てられるのも見ていられない

Twitterで仲良くやりとりさせていただいている方の中に、支持派に属している方がいます。

その方が、支持派として活動している中で、捨てアカを使っている知らないメロディたちから、幾度となく非難され傷を受けているようなんです。

その方は決して誰かを傷つけようとしてるわけではない、むしろ、他の誰かが嫌悪表現によって不快感を受けたり傷つくのを阻止したいと考えているはずなのに。

兎にも角にも、友だちが傷つくのは本当に嫌です。

ファンがファンに傷つけられるような事態を生む、現在の公論化に関する活動方法は支持できません。

 

ここまで、支持派になれない理由を色々と考えてみたのですが、

結局はわたしがびとびに対して激甘だからというところに収束しそうですね…

 

 

◆おわらないおわりに

 

さて、どのように締めたらいいのかわかりませんが、、

この件については、本当にまだまだ考える余地があると思います。

知識不足も痛感しています。

 

カムバック活動が始まったあたりから、このハッシュタグを含むツイートは非常に多く拡散されており、おそらくメンバー本人や事務所スタッフの目にも留まっていると思われますが、活動が終わった今でも、何の反応もありません。

活動中は、あらゆるもの(メンバーのSNS・生放送・インタビュー等)について、色々と想いを巡らせながら見ていたのでちょっと疲れました…

途中から、楽しいはずのステージを見る気力が削がれていたのも事実。

 

本人たちがどのように受け止め、どのように考えているのか?

気になりますが、知る由もありませんね。

 

 

もし、何か決定的に間違っているところがありましたらごめんなさい。

これでも書ききるまでに5時間くらいかかってしまいました…

読むのも大変だと思います(読んでいただけるのかな?)、ありがとうございます。

 

今度はもっと楽しい話題をご提供したいと思います!

花男ミュージカルとか!